第2回劇作家協会新人戯曲賞
1996年度

後援 (株)ジャストシステム


一次選考通過作品一覧(19作品)

北へ帰る 永山智行
月光に死す 萬雄一郎
子供銀行 北林洸
あなたがわかったと言うまで 杉浦久幸
アダルト・チルドレン 勝然武美
バディズ 春日太郎
生きて悪いか - 死刑囚梁斗盛の罪と罰 海原卓
裸の国 高見亮子
震える手で握手して 藤原美鈴
狢(むじな) 増田陽一
BLACK MARKET - 闇の市 長山現
refugee 宇和川士朗
素晴らしき日々が 北川徹
ジ エンド オブ エイジア 泊篤志
「中野エスパー」をめぐる冒険 はせひろいち
私のエンジン 長谷基弘
その時ぼくはコインを高く投げた 田中守幸
秋日和 川上徹也
KAN−KAN 佃典彦



最終候補作品一覧(6作品)

北へ帰る 永山智行
月光に死す 萬雄一郎
あなたがわかったと言うまで 杉浦久幸
私のエンジン 長谷基弘
その時ぼくはコインを高く投げた 田中守幸
KAN−KAN 佃典彦



受賞作

あなたがわかったと言うまで 杉浦久幸




最終選考会は、1996年12月15日、紀伊國屋サザンシアターにおいて公開で行われた。
審査員は、井上ひさし、別役実、清水邦夫、小松幹生、渡辺えり子、鴻上尚史、坂手洋二。

受賞作と最終候補作をすべて掲載した「優秀新人戯曲集1997」は、
ブロンズ新社から発売中(本体1,600円+消費税)。
ISBN4-89309-126-3 C0074



総評/選考経過



新人戯曲賞総評
                                  小松幹生


 新人戯曲賞の募集を始めて二年、今更のように気がついて驚いているのは、全国的にいかに多くの人たちが、その土地々々で劇団活動をしているかということだ。大阪とか京都とか名古屋あたりのことは前から知っていたが、九州各地から山口、広島、岡山、姫路、順次北の方に向かって北海道まで、それこそ全国の都市の名を全部あげていってもいいような情況なのだ。ほとんど例外なしに、戯曲を書くほどの人はみなその土地で劇団をつくり上演活動を当たり前のように持続的にやっている。以前なら、小説を書くのと同じように、上演のあてもなく一人で、それこそ人知れず書きつづけているというタイプが多かった。いまはすぐに上演するのだ。どうやら生活費を稼ぐ仕事は他にあるようだが、それでも一昔前のアマチュア活動とはちがう姿勢は明らかなのだ。
 この賞を運営して判ったことの一つはまずこのことである。演劇は相変わらず東京中心に動いていると漠然と考えている演劇人は多いと思うが、しかし、そうではないことが明らかになったのだ。
 これはどういうことなのか。
 ぼくは、端的にこう考えている。今が意味を模索する時代になったからだと。そのことに地方も中央もないのだ。
 以前、人はみな、いい学校、いい大学を出ていい会社に就職することを目指した。それに飽きたらぬ者は、社会体制の矛盾に立ち向かった。演劇は当然のように飽きたらぬ者たちの側にあったが、ある意味では社会からドロップアウトすることを意味したし、同時にそれは深く時代とかかわることであった。
 今という時代は、人は時代とかかわることができていない、そういう時代だといえるのかもしれない。ひとつには、社会変革の目標を失なったことだ。今の社会がこれでいいというのではないが、鋭く対決するという急迫性とでもいうものがない。とりあえずこのままでもいいのである。そう感じてしまっているのである。
 そして元々人間には、社会制度と直接にはかかわりなく常に心を占領する大問題があった。今それがクローズアップされることになったわけだ。生きる意味を問うことである。それは容易には見つからない。社会との関わりのないところで自分の内面にいくら下りていったとしても、生きる意味は見つからないのだと思う。それでも人は性急に意味を求める。前回の会報に少し触れたが、若い人たちの劇作の傾向にそれは如実に現れている。
 第2回の今回は、その傾向はやや薄れたかに見える。
 最終候補作の6本を見て、一言でまとめることはむつかしい。ひとつ気がつくことはセリフが短いということだ。実に短い。ほとんど一行あるいは一行にも満たない言葉のやりとり。これは、人がそれぞれ自分一人で生きていることを表しているのじゃないか。面倒くさい他人との関係は結ばないのだ。自分をも他人をも、ということは社会をということになるわけだが、変えようという気がないということなのだと思う。ただひたすら自己を見つめている形だと思う。今そのことをここで困ったことだという気はない。そういう時代をどうやって生きていくかが問題なんだろうと思うだけだ。
 そういえば、授賞作となった杉浦久幸氏の「あなたがわかったと言うまで」はこの傾向といささか異なって、しつこい。しつこく他人にからみつく女の物語だ。他人に自分を分からせようと激しく闘ってあがいているのだ。
 審査会当日は気がつかなかったのだが、今振り返って思うと、そのせいで審査員は説得されたのではなかったかと考えてみたい。時代の流れに抵抗する姿勢が評価されたのである。
 しかし、どうだろうか。世の大勢は変わるだろうか。




受賞作が決まるまで
                                 永井愛


 第二回劇作家協会新人戯曲賞の応募総数は七十五作。第一次、二次選考の経過は前号、小松幹生氏の報告にくわしいので省くとして、最終候補作に選ばれたのは六作となった。
 公開審査会は、木冬社公演中の紀伊國屋サザンシアターで行なわれた。清水邦夫氏、同劇場総支配人、金子和一郎氏、支配人、柳義男氏のご厚意で実現したものである。
 審査員は井上ひさし、別役実、清水邦夫、小松幹生、渡辺えり子、鴻上尚史、坂手洋二の七氏、司会は永井愛。心配された短時間の仕込みも事務局の勢藤典彦氏、舞台監督を引き受けてくださった丸尾聡氏らの奮闘で上々のよう。ロビーには最終候補作の収められた「優秀新人戯曲集1997」が並び、観客の入りも百二十人とまずまず(前回より二十人ほど多い!)であった。
 井上会長の挨拶に続き、応募順に作品紹介しながらいよいよ討論開始。二時間半の攻防をざっと要約してみると・・・・
 永山智行氏の「北へ帰る」は幻想シーンの扱いに注文をつけつつも、別役氏が「空気のようなものが描かれた生活体としての演劇」として高く評価した。
 萬雄一郎氏の「月光に死す」は村落共同体の風景を民俗学に吸収してみせたユニークな手法を多くの審査員に買われながら、時にセリフが平凡でアンバランスと井上氏、渡辺氏 らに指摘された。(ここらで遅刻の鴻上氏が客席から舞台に飛び乗り、会場を沸かせた)
 杉浦久幸氏の「あなたがわかったと言うまで」は「面接官が、実人生全体から面接されるまでになる立場の逆転を描き、何気ない切り口から大きな普遍性をつかみとった」と井上氏が激賞、清水氏は「よくもこんなパンチが繰り出せるものだ」、渡辺氏は「ぜひ上演したい」との惚れ込みようだった。
 長谷基弘氏の「私のエンジン」は、戦争協力画家とその周辺の人々を片言隻語の積み重ねで描きながら、大きなスケールを獲得しているとして、小松氏、渡辺氏、坂手氏から評価された。
 田中守幸氏の「その時ぼくはコインを空高く投げた・・」は、そのたゆまざる喜劇性へのこだわりが誰より鴻上氏に愛され、「鴻上賞を贈りたい」のセリフまで飛び出した。
 佃典彦氏の「KAN−KAN」は「最後に落ちのように二つの話がつながってしまうのが惜しい」としながら、特異な設定から生まれた劇世界の確かな感触を坂手氏、小松氏、清水氏が支持した。
 休憩をはさみ、第一回投票。一審査員が二作投票した結果、「あなたがわかったと言うまで」「私のエンジン」「KAN−KAN」がそれぞれ四、三、三の票を得て上位三作となった。
 この三作について再び討論、最終投票で井上氏、清水氏、渡辺氏、鴻上氏の四票を得た「あなたがわかったと言うまで」を受賞作と決定した。
 が、別役、小松、坂手の三氏はむしろ批判的であり、その理由は別役氏の「セリフが二元対立的で幼い感じ。立場逆転への変化の仕方が図式的」に集約されるかもしれない。
 その後、タカシマヤタイムズスクエア内の「ツチ・バヌーチ」で忘年会も兼ねた表彰式が催された。
 渡辺、鴻上両氏の軽妙な司会、斎藤憐事務局長は「ごめんなさい、賞品を買い忘れました。後で送ります」と挨拶、ジャストシステムの小林龍生氏が「こんなくだけた会だとは思わなかった」と驚かれるほど笑いに包まれた和やかな集いとなった。
 最終候補作の作者各氏のスピーチは、この日の主役の登場にふさわしく、それぞれに印象的。受賞の杉浦氏は「妻の面接体験が、創作のきっかけになった」と語り、生活上の困難も芝居のネタにして逆襲しつつ劇作を続ける、その明るい意志にまた再びの拍手が巻き起こるのであった。



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